富山地方裁判所 平成元年(モ)131号 決定 1989年8月31日
申立人(原告)
中村吉成
右代理人弁護士
葦名元夫
右復代理人弁護士
水谷敏彦
相手方(被告)
魚津税務署長
馬場隆治
右指定代理人
古江頼隆
同
三輪冨士雄
同
西川義忠
同
小谷秀範
同
大場錦司
同
今村勉
同
山本清
右当事者間の当庁昭和六一年(行ウ)第一号所得税更正処分等取消請求事件について、申立人から文書提出命令の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件申立てをいずれも却下する。
理由
一 申立人(原告、以下「原告」という。)の文書提出命令の申立て及び意見は別紙(一)(二)のとおりであり、相手方(被告、以下「被告」という。)のこれに対する意見は別紙(三)のとおりであるから、これを引用する。
二 当裁判所の判断
1 文書提出義務の原因について
民事訴訟法三一二条一号所定のいわゆる引用文書とは、当事者の一方が、訴訟においてその主張を明確にするため、文書の存在につき、具体的、自発的に言及し、その存在・内容を積極的に引用した場合における当該文書も含むと解するのが相当である。
そこで、これを本件についてみるに、一件記録によれば、本件訴訟は、被告が原告の昭和五三年分ないし昭和五五年分の事業所得金額を算出するに際し、原告の営む自動車板金塗装業並びに自動車設備業及び車両販売業の所得金額を実額で把握しえないとして、審査請求において原告が自認した総収入額を基礎とし、原告が事業所を有する魚津税務署管内において青色申告をしている同業者(ただし、自動車板金塗装業及び自動車整備業を営む者。一般に車両販売のうち原告も営む中古車販売については、これのみを単独で営む業者は少なく、大多数が自動車整備業を兼ねて営業し、更に係争年度中、魚津税務署管内で車両販売業を単独で営み、青色申告をしている個人業者は皆無であったため、自動車整備と車両販売を一括して扱った。)を抽出し、その総収入に対する必要経費の割合の平均値によって、原告の所得金額を算出した事案であるが、被告は、本訴において右同業者の当該年分の総収入金額及び必要経費の額の数値を被告の昭和六一年一一月一四日付準備書面別表2ないし4に表示し、同準備書面において、各必要経費率は、青色申告決算書及びこれに基づき作成された個人事業者の課税事績表に従い正確に算定されたものである旨主張しており、原告が、本件において提出を求めている被告の昭和六一年一一月一四日付準備書面別表2ないし4に表示の同業者の当該年分の青色申告書添付の決算書一切(以下「青色申告決算書」という。)がいわゆる引用文書にあたるものというべきである。
2 守秘義務について
ところで、民事訴訟法三一二法に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類進適用され、文書所持者に守秘義務があるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである。
本件青色申告決算書は、個人の秘密に属する所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であるから、税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって守秘義務を負うものであって、税務署長が訴訟当事者として、このような文書を訴訟において引用したからといって各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはなく、税務署長は右秘匿部分について依然守秘義務を負っているものであり、被告は本件青色申告決算書の原本の提出義務を負わないというべきである。
そして、原告が予備的に提出を求めている青色申告決算書の記載部分中、申告者の氏名住所等、納税者の特定につながる固有名詞を削除した写についても、魚津税務署管内の同業者はさほど多くないと考えられる本件においては、記載内容等により申告者を特定しうる可能性が極めて高いものといえるから、被告はこのような写についても原本と同様に守秘義務によりその提出義務を負わないというべきである。
3 よって、本件申立てをいずれも却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 井筒宏成 裁判官 林道春 裁判官 丸地明子)
別紙(一)
昭和六一年(行ウ)第一号
所得税更正処分等取消事件
原告 中村吉成
被告 魚津税務署長
平成元年三月三一日
右原告訴訟代理人
弁護士 葦名元夫
右同復代理人
弁護士 水谷敏彦
富山地方裁判所 御中
文書提出命令申立書
原告は、次のとおり文書の提出を求める。
一 文書の表示及び文書の趣旨
1 主位的申立
被告第三準備書面(昭和六一年一一月一四日付)の別表二ないし四に記載されている同業者アないしエ、及び同業者AないしHについての各昭和五三年分ないし昭和五五年分の青色申告決算書(青色申告決算書添付の決算書一切)
2 予備的申立
右文書の写し。但し、申告者・税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地・従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの
二 文書の所持者
被告
三 立証趣旨(証すべき事実)
被告の主張する類似同業者アないしエ、及び類似同業者AないしHと原告とは営業規模、業態等が異なっている事実。
右アないしエ、及びAないしHを、原告の類似同業者として推計の根拠に用いることは全く合理性が無い事実。
四 根拠法条(文書提出義務の原因)
民訴法三一二条一号
被告は、右第三準備書面二一頁五行目において、右別表二ないし四が「それぞれの所得税青色申告決算書」に従い正確に算定されたとの主張をなしているから、民訴法三一二条一号にいう引用文書に該当するたとは明らかである。
別紙(二)
昭和六一年(行ウ)第一号
所得税更正処分等取消請求事件
原告 中村吉成
被告 魚津税務署長
平成元年七月一四日
原告訴訟代理人
弁護士 葦名元夫
右同復代理人
弁護士 水谷敏彦
富山地方裁判所 御中
文書提出命令申立書補充書
―――被告意見書に対する反論―――
第一 所得税青色申告決算書に対する提出命令について
一 所得税青色申告決算書は、民事訴訟法三一三条一号の引用文書に当たる。
1 民事訴訟法三一二条一号にいう文書の訴訟に於ける「引用」とは、文書そのものを証拠として引用する場合に限らず、当事者が積極的にその文書の存在・内容に言及して自己の主張の裏付けとした場合も含むとするのが多数の裁判例である。
2 ところで本件の被告は、類似同業者の必要経費率の平均値を用いて推計により原告の係争各年度の事業所得金額を算定したとし(被告第三準備書面三頁)、その必要経費率の合理性を基礎づけるため、選定した各類似同業者が被告税務署管内において青色申告書を提出した者であり(同準備書面一七頁)、それぞれの所得税青色申告決算書(以下「本件文書」という)及びこれに基づき作成された個人事業者の課税事績表に従い正確に各人の必要経費率を算出した旨主張している(同準備書面二一頁)。
右のとおり、被告が、推計に用いた必要経費率の合理性の裏付けのため本件文書に言及していることは明らかであり、従って、本件文書は民事訴訟法三一二条一号にいわゆる引用文書に該当する。
3 なお、被告の平成元年六月二三日付け「文書提出命令申立てに対する意見書」(以下「被告意見書」という)では、被告も本件文書の引用文書該当性は争わず、専ら守秘義務を理由とする提出義務免脱の主張に終始している。
二 被告主張の守秘義務は文書提出義務免脱の理由にならない。
1 被告の意見は要するに、<1>文書所持者に守秘義務があるときは文書提出義務を免れるところ、<2>文書所持者が公務員の場合、裁判所には当該事項に守秘義務が及ぶかどうか、如何なる方法で守秘義務違反を回避するかについての判断権はなく、その判断はあげて行政庁に委ねられる、というにある。
しかしながら、この被告の意見は二重の意味で是認できないものである。
2 第一に、なるほど公務員は職務上知ることができた秘密を漏らしてはならない(国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条等)が、この守秘義務は国民に奉仕すべき立場にある公務員の国民に対する義務である。ここでは、秘密の主体である国民個人と公務員(国家)との関係において、国民個人の利益が保護されるのは当然のこととされているのである。
ところが本件では、原告は被告課税庁の主張を吟味・検討するための資料として本件文書の提出を求めており、そこで対立しているのは、青色申告をした類似同業者の秘密保護の利益と原告の公正な裁判を受ける権利(憲法三二条)である。後者の権利保護のために前者の利益が一定限度で制約されることがあって然るべきではないか、それが問われているのである。すなわち、ここでは国民個人相互の関係において権利・利益が衝突しているのであって、国民個人対国家の関係とは同列には扱えず、秘密保護の利益が当然の如く優先するとは即断できない。
ちなみに、公務員の守秘義務によって守られる国民の秘密(及び行政秘密)といえども無制約の保護を受ける訳ではないことは言を挨たない。そのことは、例えば、所轄庁の長が公務員が証人・鑑定人等として職務上の秘密に属する事項を発表することについての許可を求められた際は原則として許可を与えなければならないとされ(国家公務員法一〇〇条三項)、例外として最終的に許可を拒めるのは「国の重大な利益を害する場合」(刑事訴訟法一四四条)や「国家の重大な利益に悪影響を及ぼす旨の内閣の声明」(議院証言法五条三項)があった場合に限られている――――しかも、そこにいう「国家の重大な利益」は国民個人の秘密保護の利益を超えた、より重大なものとして捉えられている――――ことからも明白である。
このように、文書提出義務の存否をめぐる本件の争いで問われているのは、青色申告をした類似同業者の秘密保護の利益と原告の公正な裁判を受ける権利(防御権)とを如何に調和させるか、どこに妥協点を見出すか、である。これに対して被告の論理は、一刀両断に原告側の権利保護の要求を切り捨てるものであり、問題の本質から敢えて眼を反らすものという外ない。
3 第二に、国民の権利利益の調整につき最終的判断をするに相応しい機関は裁判所であり、且つ、裁判所にはその判断をすべき責任がある。ところが被告は、守秘義務の有無・範囲、守秘義務違反回避方法の当否の判断はあげて行政庁の判断に委ねられているという。この被告の論理は、人権救済機関としての裁判所の役割を無視するものであり、行政に対する司法審査によって国民の権利自由を保護しようとする憲法の理念とはおよそ相容れないものである。
裁判所は、いわば行政庁の自由万能論ともいうべき、このような被告の論理に与してはならないし、現に与していない。例えば裁判所は、いわゆる「税徴虎の巻事件」において、行政庁が秘密指定をした事項だからといってそのまま鵜呑みにはせず、いわゆる実質秘説を採用して保護に値する秘密かどうか判断を加えている。「秘密」に該当するかどうかによって人権の限界が画定される以上、その最終的判断を下すのは司法が果たすべき当然の職責である。
4 以上のとおり、被告課税庁に守秘義務が認められるからといって、直ちに文書提出義務を免れることにはならない。
本文文書提出命令の申立てにおいて求められているのは、類似同業者の守秘保護の利益と原告の公正な裁判を受ける権利との衡量を、本件訴訟の具体的事情に即して行い、もって具体的正義を実現することである。守秘義務という一片の言葉で原告の申立を斥けるなら、原告はもとよりのこと一般人の納得は到底得られないであろう。
三 本件における利益衡量はどうあるべきか。
1 本件文書には類似同業者の売上、売上原価、人件費、所得金額、資産負債の内容等が記載されており、それらが営業上の秘密に属するものであることは、被告意見書が指摘するとおりである。
しかし、同じく秘密といってもその秘密の内容・性質如何によって要保護性の程度は違う筈である。この点、その個人の人格に密接に関わる、純粋な私生活上のプライバシーに属する事項に比較するれば、右に挙示されたような営業上の秘密に関わる事項の要保護性は低い。
2 他方原告は、類似同業者の営業上の秘密を暴いて、その営業上のノウ・ハウを探ったり、競争上優位に立とうというのではない。あくまで、本件訴訟を追行するうえで本件文書が必要となる理由を具体的に示して、その提出を求めているのである。
すなわち、推計課税の合理性をめぐる争点について、被告が「本件における類似同業者の必要経費率をみても、そこに推計の基礎となし得ないような不合理な要素は見出し難い」(被告第三準備書面二一頁)と主張したのに対し、原告は、類似同乗者の選定にあたって、従業員数、家族構成員の参加形態・度合、事業所の広さ、自動車整備業における車検業務形態等の重要な基準項目や兼業状況の類似性が考慮されていない点を指摘したうえで、これらの基準項目が必要経費の内訳に反映し、そのため各類似同業者の必要経費の項目別内訳が明らかにならない限り被告の主張の合理性が検証されない所以を具体的に示し(第六原告準備書面第一、二、3以下)、その釈明を求めた(同準備書面第二)。
これに対して被告は、釈明は不要とし、その理由として「何ら具体的な必要性の指摘がない」という(被告第六準備書面第三)。しかし、右に述べたとおり、原告は具体的必要性を指摘している。この被告の言い分は、要するに釈明に応じたくないというのと同義であり、被告の独断である。また、被告は、「事業内容等に推計の合理性を履し得るほどの重大な特殊事情が存するというのであれば、原告がまずその主張・立証を具体的に行うべきもので」あるともいう(同上)。しかし、比較の「基準」となるべき類似同業者の実態が不明なのにどうして原告の「特殊」事情が判るのか。被告の言い分は、的を隠しておいて射てみよというに等しい。
3 もっとも、原告の側に非難される事情があって、類似同業者の秘密保護を犠牲にしてまで原告の権利を保護することが正義に反する場合は、本件申立が却下されても止むを得ないといえよう。
この点、被告は、「原告は、被告が行った本件税務調査に対し非協力的な態度に終始した」ので推計課税の必要性が肯定されると主張し(被告第五一準備書面四頁等)、「推計課税を余儀なくさせたのは原告自身」であると決め付けている(同準備書面第三、二)。しかし、既に原告は税務調査の経過を詳細に述べ、第三者が立ち会っていては守秘義務違反になるなどという理由にもならない理由をつけて調査権行使を放棄したのはむしろ被告の方であり、原告が非協力的でなかった所以を明らかにしている(原告第三準備書面第三、三、(三)以下等)。調査を担当した山口隆宣職員は、最後に原告工場に臨場した際、原告から二階で(調査を)やりましょうと引き止められたことを認めている(同人証言調査六四項)が、この証言一つを取り上げても、原告の主張の正当性は、証拠上も明らかになっている。
従って、原告に特に非難されるべき事情は見出せない。
4 さらに、被告は金科玉条のごとく守秘義務を強調するが、そのくせ被告自らその主張を正当化するため本件文書を引用し、守秘すべき秘密の一部を既に開示していることも忘れてはならない。
自己の都合のよいときだけ、且つ都合のよい部分だけ引用しておきながら、相手方当事者が見たいといえば、守秘義務があって駄目だという。不公平これに勝ぐるものはない。民事訴訟法三一二条一号は、正にこのような不公平を避けるための制度である。
5 以上、一方で、本件文書提出命令によって開示される類似同業者の秘密は営業上のものであって要保護性は比較的小さい。他方で、本件審理の推移と被告の応訴態度をみれば、原告には本件文書の提出を求める具体的必要性が認められ、原告がこれを求めるにつき正義に反する事情はない。
本件文書提出命令の当否は、これらの諸要素・事情を充分見据えた利益衡量に基づいて判断されなければならない。
四 結語
以上のとおり、本件文書が引用文書に該当すること、被告主張の守秘義務が直ちには提出義務を免脱させる根拠とはならないことは明らかである。
そこで原告は、貴裁判所が、行政のあり方とチェックしつつ、個別事件を通して具体的正義を実現し、もって国民の権利救済に仕えるという司法権本来の姿勢を堅持されるなら、公正な利益衡量の結果、原告の文書提出命令申立は必ずや認容されると信じるものである。
第二 所得税青色申告決算書写しに対する提出命令について
一 一部削除文書の写しも提出命令の対象となる。
1 原告が申告者の固有名詞等を削除した所得税青色申告決算書の写し(以下「本件写し」という)につき予備的に提出命令の申立をしたところ、被告は、本件写しは現存しない、本件文書とは別個の文書であって、そもそも提出命令の要件を欠くという。
はたして本件写しは原本とは「別個の文書」であろうか。
ここでは、原本と写しの関係をどうみるか、また、原本とその一部を削除したものとの関係をどうみるか、二つの問題が交錯しているかに見える。しかし実はそうではない。原告のいう文書の一部削除とは、正確にいえば文書の一部を隠蔽してその部分の情報を開示しないことを意味する。一部が隠蔽されていても原本は原本であって同一性は失われず、現存しない別個の文書を新たに作成することにはならない。そして、本来なら一部を隠蔽したまま原本を提出すべきところを、それよりもコピーを作成して提出する方が実際上便宜であろうことを考慮して、写しの提出を求めているだけのことである。写しの作成・提出は、原本の一部を確実に隠蔽するための一手段に過ぎない。
念のため再言すれば、本件予備的申立は、主位的申立の対象とした現存する文書のうちの一部に範囲を限定して、その提出を求めるものである。また、写しの提出は、現存する文書(その一部)を提出する際の技術的方法の問題であって、提出対象の問題ではないのである。被告が「別個の文書」の提出を求めていると論難するのは、問題の本質を見誤るものである。
2 このように原告は「別個の文書」の提出を求めているのではないが、仮に被告がいうように、写しはその写しの作成者を作成名義人とする。原本とは別個の文書であるという立場に立ったとしよう。しかし、そこから直ちに文書提出命令の対象適格を否定することにはならない。
すなわち、複写技術の進歩した現在では、写しが原本と同視され、原本と同様に社会的に通用している実態があり、それが法制度にも少なからず反映している。
例えば、刑事訴訟法三一〇条は、証拠調を終わった証拠書類につき謄本を提出することを認めているし、刑事訴訟では一般に一部不同意書面などの提出につき不同意部分を削除した抄本・写しを提出することも認められている。内容的に原本との同一性が担保されている限り、それで何らの不都合もなく、却って実際的だからである。
また、判例は、「たとえ原本の写であっても、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書としてこれと同様の社会的機能と信用性を有するものと認められる限り」公文書偽造罪の客体たる文書に含まれるとし、その場合において写は、「原本と同一の意識内容を保有する原本作成名義人作成名義の公文書と解するべき」だといっている(最高裁昭和五一年四月三〇日判刑集三〇巻三号四五三頁等)。勿論この判例も写しが原本そのものだというのではない。ただ、公文書偽造罪の立法趣旨からすれば、写しであっても原本と同様の社会的機能と信用性が認められる場合には、原本と同視してよいという実質的考慮をしているのである。
これらの例は、写しと原本は別個の文書だという形式論理だけで提出命令の当否を決定することの無意味さを如実に教えている。本件予備的申立が写しを提出対象にするものと捉える立場に立ちつつ、写しは提出命令の客体にはならないというのであれば、その実質的理由が示されなければならない。
3 ところで、被告意見書が援用する広島高裁松江支部平成元年三月六日決定は、本件写しのように原本の一部を隠蔽したコピーの提出を求めることは、<1>民事訴訟法三二二条の原本提出主義にも悖る結果となり、また、<2>法的根拠なくして相手方にコピーを制作する作為義務を負わせることになるとして、申立を却下している。右決定が挙げている理由は、提出命令を否定する実質的理由になるか。
まず、原本提出主義が採られているのは、文書の真正を確認するために原本が必要になるからである。だからこそ、原本の存在、その成立の真正及び写しが正確に写されたことに争いがなく、且つ写しをもって原本に代用することに異議がないときには、写しの提出も許容されてきている。ところが、本件写しの文書提出に関しては、被告・原告のいずれにとっても原本の存在・成立や写しの正確性は問題にするには及ばないのであるから、原本提出主義に些かも悖るものではない。
次に、コピー制作の作為義務を負わせる法的根拠がないというのも実質的理由にはならない。被告課税庁が原本全体を出せば守秘義務違反の弊害が生じると主張するので、次善の策として、それなら一部を隠蔽した文書のコピーで満足しようというのが原告の予備的申立である。コピーの制作ができないのであれば、本則どおり原本の一部を隠蔽してそのまま提出すればよいだけの話である。右決定も亦、被告同様、コピー(写し)の提出が文書提出方法に係わる単なる技術的問題に過ぎないことを看過している。従って、ここではコピー制作の作為義務などという難しい議論を持ち出す必要は全くない。どうしても持ち出したいのであれば、民事訴訟法三一二条にいう「提出」とは相手方が当該文書を利用し得る状態を作出することを意味し、原本自体を出せない合理的理由があるときは、代わりにコピーを制作することもこれに含まれると解釈すれば済む筈である。せっかく電子複写機という現代文明の利器があるのに法律家が屁理屈を並べて使えなくしたのでは、社会一般の尊敬も集まるまい。
4 以上、本件予備的申立は現存しない「別個の文書」の提出を求めているものではないし、また仮に別個の文書の提出を求めていると捉えたとしても、実際上の便宜を考えて、原本と同視すべき写しの提出を求めるものである。
従って、その申立の当否は、結局は青色申告をした類似同業者の営業上の秘密保護の要請をどこまで優先させるかにかかってくる。その意味では、本件文書全体に対する提出申立と異なるところはない。
二 申告者特定の危険性について
1 被告は、申告者の住所・氏名等固有名詞が削除されていても申告者が特定されてしまう危険があり、特に魚津税務署管内には類似同業者が少ないという特殊事情があるのでその危険が極めて大きいという。
この被告の意見は、申告者の営業上の秘密開示につながる申告者の特定は絶対的に回避されなければならないという前提に立っている。しかしながら、本件訴訟の具体的事情の下では、その前提自体が受容れ難いことは既に述べたとおりである(第一、二、三)。原告の反論はそこで尽きている。
2 最後に二点だけ付言しておくと、第一に、選定された類似同業者の数が少なければ少ないほど、いかに氏名を伏せたところで総収入金額と必要経費額から申告者が特定される危険性はそれだけ高まる。ところが、魚津税務署管内の類似同業者に限ったのは被告の判断であり、被告は自らの診断で申告者特定の危険性を高めておきながら、その危険性を理由に提出義務は免れようというのである。被告の身勝手さは明らかである。
第二に、原告は被告が算出した平均必要経費率の合理性とそれを原告に適用することの合理性を検証する目的で、類似同業者の必要経費の内訳につき釈明を求めたところ、被告はこれを拒否した。もし被告が釈明に応じていれば、釈明の仕方を工夫することによって、一方で必要最小限の記載内容の開示に止めて申告者を特定しにくくしつつ、他方で原告も満足するだけの情報の提供を得られた可能性もあったし、少なくとも申告書の筆跡から申告者が特定される心配など問題にならなかった筈である。このような利害調整の方途を断ち切っておきながら、申告者が特定されることのみ強調する―――この被告の応訴態度も亦、身勝手極まりないものである。
三 結語
原告が本件申立をしたのは、必要経費額の項目別内訳が判明しなければ被告主張にかかる平均必要経費率の合理性を検証する手立てがないからであって、類似同業者を特定することはもとより原告の本意ではない。そして、被告が青色申告決算書そのものの提出が類似同業者の秘密を犯すというので、それなら一歩退いて、固有名詞等を隠蔽した本件写しで満足しようというのである。この原告の控え目の要求すら認められないのであろうか。
貴裁判所の公正な判断を求めるものである。
別紙(三)
昭和六一年(行ウ)第一号
原告 中村吉成
被告 魚津税務署長
平成元年六月二三日
右被告指定代理人
古江頼隆
三輪冨士雄
岡部貞美
小谷秀範
大場錦司
金田洋一
今村勉
富山地方裁判所民事部 御中
文書提出命令の申立てに対する意見書
原告の平成元年三月三一日付け文書提出命令の申立て(以下「本件申立て」という。)に対する被告の意見は、次のとおりである。
第一 意見の趣旨
本件申立てをいずれも却下するとの決定を求める。
第二 意見の理由
一 所得税青色申告決算書について
本件申立ての主位的申立てである類似同業者の昭和五三年分ないし同五五年分の各所得税青色申告決算書及び同申告書添付の決算書一切(以下「所得税青色申告決算書」という。)についての文書提出命令の申立ては、却下すべきものである。以下、その理由を述べる。
1 守秘義務による提出義務の不存在について
(一) 民訴法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同じ性格のものであるから、文書所持者にも、民訴法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用により、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れようというべきである(浦和地裁昭和五四年一一月六日決定・訟務月報二六巻二号三二五ページ、東京地裁昭和五八年一二月一日決定・税務訴訟資料一三四号二九〇ページ、大阪地裁昭和六一年五月二八決定・判例時報一二〇九号一六ページ、名古屋地裁昭和六三年一二月一二日決定)。
(二) ところで、民訴法の規定によれば、公務員が証人であるときには、その職務上の秘密につき尋問する場合においては裁判所は当該監督官庁の承認を得ることを要する(民訴法二七二条)とし、公務員の職務上の秘密であることを理由とした証言拒絶(同法二八一条一項一号)の場合には、その当否について裁判所が裁判をする余地はない(同法二三八条一項)とされているのである。したがって、尋問事項が職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は当該監督官庁つまり行政庁に委ねられていると解すべきである(斉藤秀夫・「注解民事訴訟法」五巻四一・五一ページ、井口牧朗・「実務民事訴訟法講座1判決手続通論Ⅰ」三〇六ページ)。そうすると、人証か物証かの証拠方法の差異によって、職務上の保護に違いはないから、この理は、当然守秘義務による文書提出義務の免除となる事項か否かすなわち職務上の秘密に該当するか否かについても、同様に適用されるべきであるから、結局、守秘事項か否かの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は、どのような方法により、守秘義務違反を回避するかということも含めてすべて行政庁に委ねられているというべきである。
(三) 原告が本件申立てにおいて提出を求める文書は、所得税青色申告決算書であるから、いずれも納税者の営業上の秘密やプライバシーに関する売上、売上原価、人件費、所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、被告である税務署長は、職務上知り得た納税者の所得に関する右の事項につき、国家公務員法一〇〇条、所得税法二四三条の規定によって、守秘義務を負うものであることは明らかである(東京高裁昭和六二年九月四日決定・税務訴訟資料一五九号四九一ページ、名古屋地裁昭和六三年一二月一二日決定、広島高裁松江支部平成元年三月六日決定)。
2 申告納税制度下における守秘義務について
現行の申告納税制度は、課税当局と納税者間の信頼関係を基礎に成り立っているから、仮に、課税当局が守秘義務に違反したとすると、税務行政の今後における執行に重大な支障を招来することは必死であり、国家の利益または公共の福祉に重大な損失ないし不利益を及ぼすことは明らかである。
3 したがって、所得税青色申告決算書については被告税務署長は守秘義務を負うものであるから、文書提出義務を免れることは明らかである。
二 所得税青色申告決算書写しについて
本件申立ての予備的申立てである所得税青色申告決算書写し(ただし、申告者・税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地・従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの)についての文書提出命令の申立ては、却下すべきものである。以下、その理由を述べる。
1 現存しない文書の提出命令について
(一) 民訴法三一二条ないし三一四条所定の文書提出命令の制度は、特定の文書の原本が現存することを前提とし、これを所持する訴訟当事者若しくは第三者にその提出を命ずるものであって、右文書の現存と提出命令を申立てられた相手方が右文書を所持することは申立人において主張立証すべきものであって、その作成がいかに容易であっても、現存しない文書を作成した上、これを提出すべきことを命じることは文書提出命令の制度には含まれていないというべきであり(大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定・訟務月報三三巻五号一二三五ページ)、そもそも現存しない文書を作成した上、これを提出すべきことを命じることは文書提出命令の制度上あり得ないことはいうまでもない。
(二) 固有名詞等を削除した所得税青色申告決算書の写しは、所得税青色申告決算書とは作成名義人を異にする別個の文書であり、被告が所持していないばかりか現存しない文書であって、文書提出命令の要件を欠いていることは明らかである(名古屋地裁昭和六三年一二月一二日決定、広島高裁松江支部平成元年三月六日決定)。
2 固有名詞を削除した所得税青色申告決算書の写しの守秘義務について
(一) 固有名詞等を削除した所得税青色申告決算書の写しであっても、個人のプライバシーや営業上の秘密に属する事項が多数記載されているから、提出すれば、原告側の調査過程で、不特定多数の調査先に開示され、かつその記載内容、筆跡等から申告者が特定される危険があり、現に以前、課税庁において固有名詞等を削除した所得税青色申告決算書の写しを提出したにもかかわらず、申告書の専従者給与の続柄及び年齢、減価償却資産の明細あるいは同業者組合における調査等から所得税青色申告決算書の同業者を特定し得たという例もあるから、このような所得税青色申告決算書の写しを提出することは、被告税務署長が国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって負う守秘義務に照らし、できる限り避けるべきものである(東京高裁昭和六二年九月四日決定・税務訴訟資料一五九号四九一ページ、名古屋地裁昭和六三年一二月一二日決定・広島高裁松江支部平成元年三月六日決定)。
(二) 本件において所得税青色申告決算書写しを提出することは、前記の一般的問題のほかに、魚津税務署管内には類似同業者が少ないという特殊事情もあるので、仮に、固有名詞等を削除したとしても、その同業者が特定されるおそれは極めて高いから、固有名詞等を削除した所得税青色申告決算書写しを提出することが、被告税務署長に課された守秘義務に違反するものであることは明らかである。
3 したがって、所得税青色申告決算書写しについても、被告税務署長は文書提出義務を免れることは明らかである。
三 以上の次第であるから、本件申立てに係る各文書については被告にはいずれも文書提出義務がなく、本件申立ては速やかに却下されるべきである。